まめカメラ

まめのカメラブログ

カメラが好きな八王子在住 28歳のブログ

僕は本当に多趣味な人間なのか

僕には悩みがある。

「色んなことに興味がありすぎて手を出してみるけどたくさんあるからどれも中途半端になっちゃって誇れるものがない!!」ということである。

よく言えば「多趣味」、悪く言えば「飽き性」


今までに、ギター、釣り、ゴルフ、写経、競馬、野球、ドット絵、小説、カメラ、喫茶店巡り etc.

ずっと続いている趣味もあるけれど、早くに脳内からお亡くなりになり「あれ?そういえばこれやってたわ〜懐かしっ(笑)」という趣味の方が多い。

そして継続出来ないたびに
「嗚呼、自分はなんて飽き性で中途半端な人間失格野郎なんだろう、玉川上水で心中だな」
「広く浅くだから人より秀でている趣味に成らない」
「なにか自分に合った分野があるはず!これはその分野じゃなかっただけ!」
とまた何かに興味を持ち、かじってみては、また別のものを始めてみて、それも継続出来ず。26年間これの繰り返しです。


どうにかこの負の連鎖を断ち切りたいと何度も思考を巡らせてみても中々変われなかった。そんな僕でもずっと続いている趣味がこのブログにもよく出てくるカメラです。
ところがどっこいしょ、先日会社の先輩に

「カメラはお前の特徴であって魅力ではない」
と言われたんですなぁ、これが。

それでさらに考え込んでしまいまして、

そもそも趣味ってなんだ?

なんで続かないんだ?

という、そもそもの部分を疑ってみた。

そこで僕が出した結論をこの記事に文章としてアウトプット・具現化しておきたい。

結論1.趣味とは「自分が楽しくなるから」が目的である

そもそも「趣味」ってなんだろう。趣味の定義とは。これは人それぞれの定義がある。
だから「そんなレベルじゃ趣味って呼べない」という冷たい意見もあったりする。ここでは僕の定義で趣味というものを考える。



まず趣味ってなぜやるかというと、大半は「楽しいから」だと思う。自分が楽しくなるから。楽しいから自然とやっている。楽しいから続く。

「自分が楽しくなるため」という目的があり、「趣味」という手段がある状態。

有名になりたいから、とか
褒められたいから、とか
お金を稼ぎたいから、とか
そういった外界からのレスポンスを受けることを目的にするとダメ
現代はネットで共有・展開できることがデフォルトだからそこに目的を置いてしまうのは無理もないんだけど。

ただ、他者評価は最終的にはすんごい大事。自分がどのレベルにいるかの指標になるし、悔しがったり嬉しくなったり原動力になる。あくまで成果としての他者評価であって、それを目的としてはいけないということ。

だから目的を誤ると続かないことが多い。それもそのはず、他者から高評価を受けるにはある程度のレベルに達していないといけない。世に出せるレベル。それに到達するには勉強したり練習したり続けていかなくてはならない。
しかしだんだん
「誰もいいねくれないやん!」
「誰も褒めてくれへんやん?!」
と挫折の壁が立ちはだかる。
「自分が楽しいから」という目的ならば現れることのない壁。

この場合だとそれを仕事にして飯を食っていくくらいの根気がないとその壁を乗り越え続けることは出来ない。そしてそもそも趣味と仕事は対称の存在だ。

僕も最近、新幹線とロボットを掛け合わせた「シンカリオン」があるなら、カメラとロボットを掛け合せた「カメラリオン」も流行るのではないか?と思いついた。これならカメラ界隈の人たちも喜んで、その界隈で有名になれるんじゃないか?と。
しかし「カメラリオン」を実現させるためには、まずそのロボットのデッサンが出来なければならない。僕はデッサン能力がない。ココナラを調べてもデッサン依頼は30000円もする。それに書いてもらったんじゃ意味がない、それじゃ佐村河内だ。
そこでデッサンを勉強してみようと思い立ち、タブレットでデッサンアプリをダウンロードし、とりあえずは複写を、とアイアンマンを書いてはみたものの、まぁひどい。これは世に出せるまで結構な時間と労力がいるなと。それよりも読書したいし小説も描きたいし写真も撮りたいし…。
結局僕の場合、
「誰かに褒められたいから」という目的より
「自分が楽しくなるから」という上位目的のほうが優先される。
いやいやそこで踏ん張って技術を身につけろよ、とも思うが、たかが趣味だ。
昭和時代のスパルタ教師は脳から追いやるのだ。


「楽しんでやっていたら、世に出せるレベルまで技術・知識を身につけていて、結果として褒められた。」これが理想形だ。

だから、興味が湧いてきて、これ始めてみようかな、と思い立った時、目的はなんだろう?と考えてみることにしよう。
「これでお金を稼ぎたい」とか「有名になりたい」とか邪な目的があることを自分に認めることは簡単ではないけど、都度自問自答していこう。






結論2.「趣味」と「関心事」のカテゴライズ

趣味の定義は人それぞれ。では趣味と認められなかったものは「何」?
僕は少ないボキャブラリーの中から、それを「関心事」と名付けた。「interest」ですね。
「趣味」は「hobby」より「life work」のほうが意味が合うかな。

これを適用すると「趣味」は激減する。
料理は好きで楽しいけど奥さんに作ってあげるくらいでそれほどこだわっていないから関心事にカテゴライズされるし、喫茶店巡りも好きだけど月に1・2回で、どちらかというと喫茶店を撮影したり、喫茶店の雰囲を味わいながら小説を書いたりすることが上位目的だからこれも関心事だ。

こうすると「多趣味」だと思っていたけどそれほど趣味は多くないことに気づく。

なんだ、僕は関心事が多いだけで多趣味ではないんだ。今まで継続できなくて広く浅くだったものは全て「関心事」だったんだ。関心は移ろいゆくものだから続かなくても、断続的でも不自然じゃないよな。そんな中でも日常的に関心を持ち続けられるもの「趣味」が1個でもあれば幸せやん。
と気持ちが楽になった。

「趣味」と「関心事」のカテゴライズ
大事。




結論3.当たり前だけど趣味に割ける時間がとお金は有限

当たり前だけどね。ただ脳内の昭和時代のスパルタ熱血教師がたまに出てきて言うんだ。
「お金がなんだ!時間がなんだ!男だったらやると決めたらとことんやるんだ!金がないなら飯を食うな!時間が無いなら寝るな!わかったか!」

「はっ、はい!!先生!!」

と脳内でお尻をピシャンと叩いてみるけど、やっぱりお金も時間も限られている。

人間の集中力は90分しかもたない というから、仮に4つの趣味を同時並行で楽しむとしたら

90×4=360分 、 6時間

休日6時間も趣味に費やしたらもうほぼ1日終わってるし、仕事してる平日なんて90分確保できるかどうかって感じだ。
それに90分では終われない趣味もある。ゴルフとか釣りは車移動だけでも90分くらいかかる。
仮に、その週はゴルフや釣りなど1日費やさなければならない趣味をするとして、その他の、例えば読書や録画消化とかが溜まる。しわ寄せが翌週に来てしまうから、うまくしわを伸ばすためにタイムマネジメントが必要になる。来週の土曜は読みかけの小説を読了しよう、日曜は録画を一気にみよう、とか。
それで、なんとかやりくりはできる。
ただそれが読書や録画消化以外に何個もあったら。喫茶店巡り、競馬、パチンコ、もしかしたら英語の勉強もしなくちゃならないかもしれない。そうなるともうキャパオーバー。
ゲームでいうところの「コスト上限を超えた装備は装着出来ません、レベルにあったコストの装備でどうぞ」ってやつだ。

お金も同じことが言える。趣味に使えるお金が月に3万円だとして、趣味で費やす金額がそれを超えてしまうと生活にまで影響が出てしまう。人生を、生活を豊かにするための趣味が生活を苦しめては本末転倒。

だから時間とお金に制限をかけておくことが大事だ。
趣味に費やせる総時間は4時間半、費用は3万まで、とか。

無理して始めても続けられる余裕がないんじゃ意味無いから。



結論4.他人の趣味を羨ましいと思わない

Instagramを眺めているとたまに印象派の絵画を掲載しているアカウントを見つける。
上で書いた通り僕は絵が下手だ。だから、そういった絵を書ける人のことを、すげーな、こんな人間になれたら、ってないものねだりで羨ましがってしまう。人の趣味を羨ましくて感じてしまう。

でも羨ましく思う必要はないのだ!
僕のInstagramは全てモノクロのストリートスナップで、投稿するとだいたい30いいねくらい付く。



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もしかしたらその30人のうちの1人くらいは「すげーな、こんな写真撮れるなんて、羨ましいな」って思ってるかもしれない。かもしれない。

僕自身「え結構いい写真撮れてるほうじゃない?構図とかちゃんとしてるし、どう?良くね?良くね?」って気分で投稿しているし、僕の取り柄のひとつであって、誇れる部分だ。主観では見えづらいけど客観的に考えたら僕だって羨ましがられる要素があるってことなのだ。

だから誰かのマネをして、なにかをはじめたりしないこと。
誇れるものがひとつあればそれだけでよい。漁船が燃料補給しに帰る港みたいな存在があれば安心だ(この例えは適切か?)。


結論5.アウトプット出来る手段であること


相手を知りたい時の質問の代名詞「ご趣味は?」

その人の趣味を知ることはその人を知ることに繋がる。何に関心があり、どんな日常を過ごしているのか。そこに共通点を見い出せればその人との距離感はぐっと近づく。

ただ、
人と話す用の趣味
自分が認知していればよい趣味
は分けた方がいい。

例えば、僕は仮面ライダーが好きだ。平成ライダー作品はほとんど観たし、ライダーの名前を言ってもらえればすぐ変身ポーズがとれる。これは人と話す用の趣味としては良い。仮面ライダー好きと交わることなんてそうそうないかもしれないけど、仮面ライダー自体は皆が知っている有名なヒーローだし、昔観ました!なんて昔話に花が咲くこともある。だけど、僕は仮面ライダーを「趣味」とは認識していない。

なぜならば、インプット(受信)しかしていないからだ。作品を観るだけで、そこから何かを生み出していない。仮面ライダーのイラストかなんかを書いていれば別だけど、僕は観て終わり。時間を費やし、楽しかったという感情だけが残り、成果物は無い。

僕は「アウトプット(発信)」の要素が含まれているものを「趣味」と認識している。

だから、読書も喫茶店巡りも好きだけど趣味ではない。書評をまとめているわけでも、喫茶店を開くわけでもないから、これは関心事にカテゴライズされる。
読書は自分の中で得るものがあるじゃないか、なんて思うがそんな質量をもたないものは不確定な存在なので成果物としてカウント出来ない。


カメラと小説は趣味だ。写真という成果物、文章という成果物が生まれるから。


でも「ご趣味は?」と聞かれたら
その人の雰囲気を考慮して
茶店巡りとか好きです って言ったり
仮面ライダーよく観ます って言うだろう。

その場に限り関心事を趣味にランクアップさせる。本当の意味での趣味は自分だけが認知していればよい。

総括

以上、5点の結論が出た!

それぞれを考慮すると、このブログも趣味に入るのかな?
一応続いているし記事という成果物もある。
でもカメラとか小説とかのアウトプット媒体として使っているだけだから、やはり根底には「カメラ」「小説」っていう趣味がある。そこにブログも含まれてしまうかな。


そういえばつい先日、
「お前にとってカメラは特徴であって魅力じゃない」と言ってきた先輩に吹っかけてみた。

「僕の趣味はカメラで、カメラでは誰にも負けましぇん!!(ビビる)」

じゃぁ、と先輩がおもむろにスマホを開き、カメラを検索して画面をこちらに見せてきた。ロゴと型式を指で隠しているので、このカメラのメーカーと型式を当てろ、ということなんだろう。

「えーっとCanon EOS RP」
「…正解、次」
Leica M6 モノクローム
「……正解、次」
SONY ‪α‬7 ii」
「正解キモっ!オタクかよ、すご」


これはもう特技だな、と認めてくれた。
という嬉しかった話は置いておいて




兎にも角にも、結論は出た!


僕の趣味は「カメラ」と「小説」のみ!

関心事が多いだけ!

多趣味じゃなかった!



以上、喫茶店から投稿。
カメラと読書と喫茶店めぐりの組み合わせ最高です。



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