HSS型HSPを自覚している僕は常にある悩みに縛られている。
飽き性
ということだ。
色んなことに興味が尽きないので
手当たり次第にやってみて(やりたい!と思ったら行動めちゃ早い)
ピアノを買っては数日引き
新しいゲームを買っては数日やり
1回だけやって満足して飽きて
半年後くらいに「ああ、これそういや全然やってないな」
の繰り返し(´×ω×`)
この27年間、ほぼ毎日この罪悪感と共に生きている。
たまに自分の殻が敗れて、
「そういう気質なんだから、そういう自分を受け入れればいいんだ!罪悪感なんて抱く必要なし!」と元気になる時期があるけど、また少しするといつの間にか罪悪感が芽生え、自己嫌悪のスパイラルに戻っている。
そして、いま、自己嫌悪のスパイラルの真っ只中にいる!!
こういう時は
『今日も明日もいいことが見つかる
繊細さんの幸せリスト』
を読みました。
この本は偶然見かけたネット記事で知った。
HSPには「幸せのカテゴリー」が6つある、らしい。
(ミスチルで幸せのカテゴリーって曲あるよね、いいよね、失恋ソングだけど)
・感じる幸せ(敏感な五感で小さな刺激も感じられる)
・直感の幸せ(繊細が磨きあげられ直感が発達する。その直感がいい出会いを運んでくれることがある)
・深く考える幸せ(深堀するクセがあり、本質的なことの追求にエクスタシーを感じられる)
・表現の幸せ(芸術に強く反応でき、自身も芸術を生み出せる感性がある)
・良心の幸せ(他人の気持ちを優先できる、思いやれる力がある。それだけで人間として最高じゃない?)
・共感の幸せ(他人の感情をそのままほぼトレースできる。聞き上手)
良心の幸せ については、僕が人間的に未熟だから強く共感することが出来なかったけど、その他はとても当てはまる。
そう!そんな時に幸せを感じる!って顔縦にブンブン振った。
著書の内容については購入して確認してもらうとして、僕がハッとさせられたのは
成果主義になっていませんか?
という文章だった。
「これをやってなんになるのだろう?」
「これをやったところで誰かが褒めてくれるわけでもないし」
「お金が稼げるわけでもないし」
「本当にこれをやる必要があるのかな?需要があるのかな?」
興味を持って「やりたい!」と思ったことなのに
いつからか
他人からの評価や、利潤にフォーカスしてしまっていた自分に気づいた。
だから本来の「自分が幸せを感じるから」という目的を見失って辞めてしまう、熱が冷めてしまう、結果、飽きてしまう。
このブログはなんとか長続きしているけど、
よく、
「日に10PVくらいの人気のないブログを続けてて意味あるのかな」とか
「アフィリエイトを導入して、利益を得るっていう意味を持たせるべきなのかも…」とか考えてしまうけど、
本来の目的は
『自分の思考整理』だったり、『記憶の記録』だったりする。
カメラ関連の記事は僕がカメラが好きでそんな想いを書き記したい、アウトプットしたい、文字に起こして理解を深めたいから書くんだ。
僕のカメラ記事なんかよりもっと有意義でもっと興味深いブログを書く人もいる。そりゃいる。
だからって僕がカメラ記事を書かない理由にはなり得ないんだよね。
僕は僕なりの記事が書けるし、「書いちゃいけない」なんてことはない。「書かなくてもいい」なんてことにはならない。
だから、今後は興味を持ったら自分が幸せを感じれるだけやり続ける。そこに目的を設定したい。
頭の中でモヤモヤしていた部分がちょっと霧が晴れた気がする。
HSPの自問自答はまだまだ続きます…