まめカメラ

まめのカメラブログ

カメラが好きな八王子在住 28歳のブログ

「カメラ」で撮りたいんだ

風邪で熱は下がったけど咳が止まらん。
今日は午後から有楽町で講習会なので午前休をとってゆっくり向かっている。
有楽町はごちゃごちゃしていて写欲の湧く街だ。ストリートスナップしてる時間があるかどうかだけど。

さて、先日下記のWebニュースを発見した。

https://web.smartnews.com/articles/hxyQYK5g2WR

Canonの最上位ハイエンドモデルとiPhone 11 Proで撮った写真、どちらが一眼レフでどちらがスマホという記事だ。


「ふっ(微笑)。こんな問題楽勝だよ。
たしかにスマホの画質は上がっている。
でも僕のようなカメラ好きにはね、
いや僕は何万という写真を見ているんだ、
ただ見ているだけではなく、
ボケ感やフレーミング
細部のノイズなどに着目して
見ているんだ。
こんな問題ね、楽勝だよ。

全5問、2問しか正解出来なかった。


そう、そんなもんなのだ。

もうスマホの写真はカメラに追いつきつつある。


目的を「写真」にするのであれば、もうカメラで撮る理由は無くなる。
「目的」を「写真」にするのであれば。

常々、僕は何が 「目的」で、何が「手段」なのかを考える人間だ。
例えば競馬をしたいと思ったとき、目的は「お金を増やすこと」であり、それを達成するために「競馬」という手段がある。
でもそれなら家から遠い東京競馬場にまで行かず、近場のウインズに行けばいい。極論、ネットで馬券を買えばいい、交通費もかからないし。
それでも僕は「競馬場で競馬がしたい」のだ。
それは「競馬場の熱気を感じたい」というもうひとつの目的があるからだ。ラストの一直線を大声張り上げて応援する群衆の熱気を直に感じて一緒に興奮したいのだ。
この2つの目的に優劣はなく、片方でも叶えば僕は楽しかったと満足できる。「競馬場の熱気を感じたい」は競馬場に行けばほぼ100%叶う。たとえレースに負けても清々しい悔しさしかない。レースに勝てば2つの目的が達成され、さらに幸福な気分になる。


というように「目的」と「手段」を把握していると、より物事をピンポイントで楽しむことができると思っている。

ではカメラはどうだろう。
つい最近まで、僕は「街とひとの調和とノイズを撮ること」「そんなストリートスナップを撮ること」が目的で、「カメラ」は手段の意味合いが強かった。
しかしそれならスマホでもいい。それでもカメラで撮るのは「カメラというものが好きだから」だ。造形や操作性、シャッター音の心地良さ、触感など、どうにもカメラという存在が好きなのだ。
だから「カメラの持つ趣を味わうこと」も目的のひとつだった。

だが意識高い系の僕は
それら2つの目的に優劣をつけてしまった。

第一の目的として、素晴らしい写真を撮ること。
見入ってしまうようなストリートスナップを撮ること。
そういった表現者、写真家でありたいと思っていた。
その上でカメラという精密機械を楽しむのと。

「カメラの持つ趣を味わうこと」は劣性の目的になっていた。


でも、最近になってそれら2つの目的に優劣をつけなくてもいいのではないかと思い始めた。むしろ、優劣をつけるべきではない、とまで。

僕はカメラで悩むことが多々あった。
主には「このカメラで何を撮ろうか」という悩みだ。定期的に被写体に迷走する時期が来る。
僕はなにを表現したいんだ、、、
このカメラでどんな写真を撮ればいいんだ、、、
と。

容量の少ない脳内で必死に考え悩み苦しむ。大好きであるはずのカメラで、何故苦しまなくてはならない。
脳内容量2kB Verの僕がそこでこう言った。

「えへへ、しょんなにカメラが好きならカメラを思う存分楽しめばいいんでないかなぁへへ、最悪写真を撮らなくてもOKでしょへへへ(☆⊙∇⊙)」

彼は「カメラの持つ趣を味わうこと」を第一の目的にしてはどうかと言ってきている。たしかにそうすればただカメラを楽しむことが出来るし、写真を撮らなくてはと肩を張らずにいられるはずだ。


そもそも僕は「カメラで写真を撮りたい」のだ。「写真」を目的とするのであれば、カメラにこだわる必要はない。スマホでいい。
もとより「カメラを楽しむこと」が目的であったのに、変なプライド、不必要なまでの意識高い系思考に縛られ思う存分カメラを楽しめなくなってしまっていたのだ。


そうなのだ、僕が「カメラ」を趣味とする第一の目的は「カメラの持つ趣を味わいながらシャッターを切りたい」なのだ。カメラ自体が「目的」であり「手段」でもあるのだ。これは珍しいものだ。目的と手段を分けられない。本当に好きな物というのは目的や手段といった概念に縛られないのだ。



だから何台カメラを持っていてもいいのだ

どんな写真を撮ってもいいのだ

なんなら撮らなくても、カメラを見ているだけでもいいのだ

手に持っているだけでもいいのだ

カメラを楽しめれば

それでいいのだ

(バカボンみたいになっちゃった)



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