ある夫婦が言いました。
「子供が欲しいです。
私たちももう結婚して3年、年齢も30を超えました。
そろそろ子供を持つのが当たり前の時期です。子供を授けてください。」
神は返しました。
「子供を持つのが当たり前の時期?
誰がそんなことを決めたんですか?
世間ですか?
当たり前の時期なんてものはありません。
そのようなアバウトな理由では子供は授けられません。
お引き取りください。」
反論材料を持ち合わせていなかった夫婦は肩を落とし、泣く泣く帰ることになりました。
帰り道では2人で不平を言いました。
「そろそろ欲しいから」という理由で授かった夫婦だっているじゃないか。
神様は意地が悪いか機嫌が悪かったんだ。
また出直そう。
数日して、夫婦はまた神の元を訪れました。
「二人で考え込みました。子供が欲しい理由。
子供が出来ればイベントがたくさん発生します。
出産、幼稚園、運動会、入学式、誕生日。
楽しいイベントだらけです。
私たち二人でいるよりも子供がいるほうが幸福度は高いはずです。
幸福に生きたいと願うのは人間であれば当たり前のはずです。
どうか子供を授けてください。」
「自分たちが幸せになりたいから子供が欲しいと?
子供はそれで幸せですか?
自分たちが幸福になることが目的であって、
子供を授かることは手段にすぎないと言うのですか。
生命を手段として扱うなんて言語道断です。
あなた方にはまだ子供を授けることはできません。」
夫婦はまた肩を落として帰路につきます。
「なんで神は私たちに限って意地悪をするんだ。
子供が欲しいという感情に、そんな大層な大義名分が必要なのか?!
誰しも本能的に思うことじゃないか。
子孫繁栄は生命の性じゃないか。」
夫婦は神への反論を心にしまい、再考してみることにしました。
「神よ。あなたが仰りたいことが私たちも分かりました。
私たちは生まれ来る子供を幸せにしてあげたいのです。
あぁ、先日の私たちはなんと愚かだったのでしょう。
自分たちの幸福しか考えていなかったのです。
神が言わんとしていたことがようやく理解できたのです。
私たちは生まれ来る我が子をあらゆる災難から守り、幸福を与え続けると誓います。
さぁ!どうか子供を私たちに授けてください!」
神は怒りました。
「あらゆる災難から子供を守る?
幸福を与え続ける?
そんなことができると本当にお思いですか?
子が学校でいじめにあったとしたら、
あなたたちはその瞬間に学校に入り込んでいじめっこを懲らしめるのですか?
受験に失敗し絶望した時、望む学校を用意してあげられるのですか?
子供から絶望を取り払えると本当にお思いですか?
そういった安易な精神論で、自分の子供は幸せになるはずだ、自分の子供に限って死にたいほどの絶望に苛まれることなんてあるわけがない、私たちが守り抜くんだ、と一念発起したあげくに虐待や育児放棄をする親を何万人と見てきました。
そのような安易な思考を持つ者たちに子供は授けられません。」
とうとう、夫婦は万策尽きてしまった。
子供が欲しい理由を言い尽くしてしまった。
女はもう子供を授かれないのだと泣き、ある日、浮気をした。子供を授かれないのは、この夫だからなのだと考えたからだ。
浮気はすぐに夫にバレてしまった。夫は憤怒した。
子供を授かれないというだけで、夫婦二人で暮らしているという事実は変わらないのに、全てが変わってしまった。
夫は妻を家から追い出し、離婚が決まった。男は精神的に不安定になり、職も失った。家も失った。全てを失ったように思えた。男の怒りは神に向かう。
「これも全ては神のせいだ。
神が私たち夫婦に意地悪なことしか言わないから、私たちは子供を授かれず、関係は最悪なものになって、私は全てを失った!
神が悪い!復讐せねば気が収まらない!」
男は拳銃を持って、改めて神のもとへ向かった。
「おい!!
もう神だとは思わない!!
お前だ!!お前が!!
お前が俺の人生をめちゃくちゃにしやがったんだ!
ちくしょー!なんで子供を授けてくれなかった!
あんなに希望に満ち溢れた未来が待っていたというのに!
お前が子供を与えてさえくれればこんなことにはならなかったんだ!!!殺してやる!!殺してやるぞ!!!」
神は静かに言いました。
「あなたは今、死ぬより辛いのでしょう。
怒りに身を沈めてしまった。子供が授かれないというだけで、ここまで魂が落ちてしまった。
私が子供を授けなかった理由をお話しましょう。
あなた方は絶望を知らなかったからです。
あなたの人生はすべて見ていましたよ。
裕福な家庭に育ち、欲しいものは与えられ、それなりの努力である程度の立場を確保されていました。人生を変えるような困難もなければ、何かに必死で打ち込む情熱を持ち合わせていなかった。
人間はほとんどが絶望を経験します。
それは夢を打ち砕かれた時や、愛する恋人に捨てられた時、ただお金のために仕事をし続ける無感情な毎日や、飲み干したコーヒー、時には青空にも人は絶望します。
そして最も人間を絶望に陥れるのは「死」です。
生まれ落ちてしまえば、変わらず死が待ち受けています。死からは逃れられません。
分かりますか?
あなたは子供を欲しいと言った。
つまりその子供に「生」を与え、
同時にいずれ訪れる「死」も与えることになるのです。
必ず訪れる「絶望」までの短い時間を、望む望まざるに関わらず生命を創造し一方的に与えると言っているんです。
あらゆる困難から守る?バカを言ってはいけない。死という、困難を遥かに超えた逃れられない絶望を与えるのは他でもないあなたなんですよ?
いつか子供が凄まじいいじめにあい、もう死にたいと言ったらどうしますか。なぜこんな辛い思いをしなければならないのかと。なぜ私を産んだのだと言われて、「欲しかったから」とでも?!
なんと無責任なことか。
あなたは子供が欲しいと考えた時に、
ひとつの生命を創造する者としての責任を重く知らなければならなかった。
ただ、絶望をしらないあなたにはそれが分からなかったようです。
私は弾丸程度では存在が消滅することはありません。
すべての罪を悔い改め、平穏に暮らしなさい。」
男は膝からくずれ落ち、嗚咽しながら天を仰ぎ、
初めて人生で「絶望」した。
涙と鼻水で溢れた顔は、白目を向いて、もう声にならない声を上げている。
男は拳銃を自分のこめかみに突き当て引き金を引いた。
いずれ来る「死」という
更なる絶望に耐えられなくなってしまったのだ。