まめカメラ

まめのカメラブログ

カメラが好きな八王子在住 28歳のブログ

タバコを吸う理由~無意味な時間~

タバコをやめようと禁煙をしてみたところ
22時間でギブアップ。

これはアカン、
根性論作戦は失敗や、と思い

ちゃんと敵を知ること

動機付けから改善すること

を目的とし、

この記事で、考えをまとめたい。



つまりは

タバコをやめられない理由ではなく

タバコを吸う理由 を明確にすることで

その理由を喝破し

根本から否定していこうという試みである。



まず、最も重要な「タバコを吸う理由」について真っ先に書いておこう。

依存症だから

は誰にも共通する理由だから、
僕特有の「タバコを吸う理由」だ。


それは

「時間に意味を持たせたいから」

だ。



人生はとてつもなく暇だ。
平日は仕事に追われ、土日で英気を養う。
でも、そのほとんどは暇だ。
仕事は時期によってめちゃくちゃ忙しかったりもするが、休憩がとれないほどではない。
休日なんて、やらなくてはいけないこと、は家事くらいで、やはりそのほとんどは暇な時間だ。
人生は壮大な暇潰しとよく言われるけど、その通りなのだ。

我々人間は、その暇をなんとか潰そうと
夢を追いかけたり、
趣味にいそしんだり、
テレビを見たりゲームをやったりしている。
潰しても潰しても暇はやってくる。
人生はあまりにも長い。

タバコも「暇だから」吸うのだ。
暇を潰しているにすぎない。

しかも都度お金を払って(1本あたり25円も)
暇を潰しているのだから
その潰した時間にも、費やしたお金と同じくらいの価値が付与されるような気がして、まんざらでもない。

ここまでで最も重要なワードが
価値の付与 だ。


喫煙は休憩になる。
休憩は過去を癒し、
未来への活力になるのだから価値がある。


つまりは喫煙の時間(休憩)に意味が見いだされ、
経過した過去も肯定することで意味を見いだし
活力を持って臨む未来をも意味を持たせることになる。


仮にこれが正しいとすると

「タバコを吸わないのならば日々は無意味である」

という逆説も成り立つことになる。


そんなことはない。
タバコを吸わない人のほうが多い。
その人たちすべての日々が無意味である、ということになってしまう。
それはあまりに横柄な考えだ。


ここで僕が提唱したい考え方は


「すべてのことに意味はない」
ということだ。


タバコを吸おうが
テレビを見ようが
ゲームをしようが

その行為、時間に
意味は付与されない。

これは宇宙的無意味論と同じと思ってよい。
すべてのことに意味はないのだ。


と、すると


タバコを吸うことも意味はないのだ。

そう考えると

喫煙は時間に意味を付与するため、
という理由が成り立たなくなる。

そもそも、時間に意味を付与することなんて出来ないのに
付与できていると錯覚している、ということになるのだ。


そして、「時間に意味を付与する」ということは
「無意味な時間を生きたくない」という根本的な思考が垣間見得る。

しかし、すべてのことが無意味であるのに
無意味な時間を生きたくない ということは
「この世を1秒足りとも生きたくない」ということになってしまう。


ここで、解決策となるのが

無意味の受容 だ。


時間には、どうあがいても意味を付与できない、

タバコを吸おうが、吸わなかろうが
どちらにせよ意味がない、

喫煙によって前後の時間軸に価値を付与できた気でいたが、それも不可能なことである、

日々は区切る必要もなく、ただただ「無意味」であるのだ。


どう足掻いても無意味。


でも、無意味であるから、
日々に意味が見いだせたような瞬間に出会った時に
幸福を感じられるのだ。


そして、
「あの人は価値のある時間を過ごしているのに」
と焦ることもなくなる。

等しく、誰の時間も無意味なのだから。


これはとても心が軽くなる考えだ。


見栄をはって電車でスマホじゃなくて
本を読んで悦に浸る必要も

Instagramで嫉妬することもなくなる。


無意味であることを受け入れることで

ありもしない意味を持った時間を生きることはなくなるし

無意味と切り捨てた数時間をちゃんと

無意味な時間として味わえる。

無意味な1秒1秒をしっかりと生きられる。


世の中は、そのくらいのほうが過ごしやすいのだ。

実にシンプルだ。




ということで、

僕のタバコを吸う理由

「時間に意味をもたせたいから」

という理由は論破された。


敵がはっきりと見えた。

自分の中でも深く理解ができた。


あとは禁断症状を感じるたびに
この記事を見て理性を保つだけだ!!


へば!!