まめカメラ

まめのカメラブログ

カメラが好きな八王子在住 28歳のブログ

SNS時代の写真は何処に行くのか

僕はもっぱら写真を撮ったら
Instagramに投稿する
・溜まったらCotenに掲載する

Instagramはサムネイル表示で自分の写真を見返せて便利だし、
特にお気に入りの写真だったり、
場所──たとえば新宿──をテーマに写真集を作りたい時などはCotenで個展として投稿している。

これはこれで面白い。

そしてSNSではデフォルトで「いいね」とか「コメント」ができる。
30〜40いいねがつくこともあるしコメントが来ることもあるけど、



まずそもそも
いいね」の価値はどのくらいだろう?



僕はどんな時いいねしてるのだろう。


パーッとタイムラインを眺めていると
写真が尽きることなく流れていく。
1秒も見ないけど、ひたすら写真が流れていく。
そんな中で
「おっ?」
と思った写真を
数秒見て、
いいなと思ったら
「いいね」を押す。

そのあと
その「いいねした写真」を見返すこともないし、
1分後にはどんな写真かもうろ覚え、
いいねしたことすら覚えていない。

時たますごくいい写真があって、
見本にと保存することがあるけど、
それでも僕の人生にほとんど影響を与えない。
もしInstagramを退会したらもう二度と見れないだろう。
そんな蜘蛛の糸のように希薄な絆を持った写真にいいねをしている。


そんなふうに皆が「いいね」を押しているのだとしたら、
そんな「いいね」が数百、数千とついたところで、
「いいね」に
それほどまでの価値を見いだせるだろうか。
いいねの数だけお金がもらえるのなら、
金額という価値が付与されるけど。


「コメント」がつくこともあるが、
大半はフォローして欲しいがための
定型文──Wow!🔥とか、Good!とか──で、
その人の心に突き刺さったわけではない。


もちろん、毎回のように数千のいいねがつけば承認欲求も満たされ、
撮影へのモチベーションにもなる。
僕もそんな写真が撮れたらいいなと思うけど、
ストリートスナップは映える写真とは正反対の「映えない写真」だ。
「映えさせない写真」でもある。
彩度ガン上げ、コントラストバッキバキの写真が僕の撮りたい写真だ、なんて言えそうにない。


スマホを持てば誰もが
「写真家」になれるこの時代。

毎秒何千という写真がアップされるこの写真の濁流の中で僕の写真はどんな価値があるのだろう。



僕の結論は



価値など無い

無い。なんの価値もない。
ただし悲観的でもない。

上述の通り、毎秒何千という写真が絶えずアップされ続けるインターネットの中で僕の写真は流れる川の水分子ほどの役割しかなく、川を眺める人はいてもその水分子に感嘆する人などまずいないと考えた方が良い。
誤解を恐れず言えば、SNSに写真をアップすることに大層な意味などない。

ただ、

僕はたまらなくカメラが好きだ。

どう表現していいか頭を掻きむしって一晩中悩むほどカメラという機械が好きだ。
そのカメラで捉えられる一瞬、時間を閉じ込め、宝物が増えたような気持ちになる、そんな気持ちにさせてくれるカメラが死ぬほど好きなんだ。

だから極論、

「僕が幸せになるから撮る」のだ。


ただの自己満足でしかない。


その上で、
僕をたまらなく幸せにしてくれるカメラで撮影した写真に対して

どんな根拠でも、

記憶に残らずとも、

10分後に忘れてしまったとしても

「いいね」と僕の幸せに同意してくれる人がいるのであれば、

SNSにアップしたことにも
意味が生まれる。


カメラは自己中心的な芸術だ。
そもそも芸術というのは明確な優劣や順位がつけられない。
その道の有識者や有名人の琴線に触れれば「いい写真」になる。
それすら、評価者の自己中心的な判断だ。


だから

写真に大層な意味などない。

SNS時代の写真は、アップされれば濁流に飲まれ存在しながらも消えていくのだ。



とはいえ、適当な写真を取っていれば良いということでもない。
それではカメラに申し訳ない。





撮ってる自分が楽しくて、
そんな毎日が楽しくて、
日常に隠れた宝物を増やしていけるカメラが
死ぬほど好きなのだ。







f:id:k241214:20210517213355j:plain