まめカメラ

まめのカメラブログ

カメラが好きな八王子在住 28歳のブログ

カメラ市場が危ない?!


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「カメラ市場が衰退してきている」というニュースをたまに耳にする。

なんだか先行きの暗い、不安になっちゃうニュースだ。そういえば何十年後だったか定かではないけどたぶん30年後くらいには今の産業の3割しか生き残っておらず新しく開発された分野・製品が市場の7割を占めるというニュースもあった。その3割にカメラが含まれている可能性もなんだか低い気がしてきてしまう。コンタクトレンズ式カメラが主流になったりして…。まばたきするだけで写真が撮れる、みたいな。



また「世界で1番使われているデジカメはiPhoneなんて事実もある(皮肉も含む)。スマホのカメラ機能の向上がカメラ市場に大いに影響を与えているのは事実だ。絞り、SSにこだわらなければスマホのカメラと加工アプリでそれなりの写真は「作れる」。「可愛い」も作れる。

だが、あるサイトで読んだんだけど、スマホの革新に影響を受けない分野がある。
腕時計、電卓市場だ。CASIOだね。

スマホにも時計や電卓機能がある。それで補填できそうなものだけど、腕時計・電卓市場は衰退しておらず成長し続けている、らしい。


「腕時計・電卓」と「カメラ」は何が違うのだろう?なぜ市場に与える影響があるのだろう?


僕が思ったのは、ニーズの階層数の違いだ。



腕時計を付けている人というのは「頻繁に時間を確認する人」であったり、「長年の腕時計の使用で日常に定着している人」、あとは「腕時計そのものが好きな人」だと思う。スマホでも時間の確認は出来るけれど、ポケットからスマホを出す→電源を入れる→時間を確認したらポケットに戻す という動作があまりに非効率的だ。その点腕時計は手首を自分に向けるだけでいい。

腕時計のニーズ層は
・腕時計が必要なひと
・腕時計が必要ではないひと

というシンプルな理由で分けられる。
だからスマホの時計機能が介入する隙間がない。


ではカメラはどうかと言うと、
ニーズ層は3つに分けられると考える。


1.ハイアマチュア・プロ
この人たちはカメラで写真を撮るということが重要だ。露出調整やフレーミングがしやすく高画質な写真で表現や記録をしたいと思っている。スマホカメラでは満足できない。


2.撮れればいいひと
子供の写真、メモ代わりの写真(学生が黒板の板書を撮ったり)、たまに出かけるアウトドアで簡単に撮る景色写真、など。「カメラ」ではなくてもいい人たち。いまのスマホの画質で満足できる。


3.ほとんど撮ることがないひと
全然写真を撮る機会がない。とっても月1回くらい。


これらの人たちはスマホ(ガラケーも)の登場以前は「全員カメラが必要」だった。
しかし2と3のニーズ階層の人たちはスマホで満足出来るため、カメラを購入する人というのは1のハイアマチュア・プロに限られる。しかもスマホカメラは操作が簡単だ。画面をタッチするだけでそれなりの写真が撮れてしまう。

腕時計とカメラのニーズ階層を比べると、それが必要な人 の数がカメラでは減少してしまっているのだ。

腕時計のような「時間を確認するもの」は用途がシンプルで多様性がない。

カメラは芸術的な表現(アート)と、記録媒体としての(リアリティ)の2種類がある。記録媒体としてカメラを使用していた人たちがスマホに移行してしまったのだ。

いまは「フルサイズミラーレス時代」と言われているが(それも下火のまま終わりそうなのでそれほどのブームとはならなそう)、それはハイアマチュア・プロにしか需要がなく、所有している一眼レフからの買い替えをする人が大多数だ。しかしミラーレスのEVF性能が向上し一眼レフと同列になったとしても、一眼レフの性能は変わらず高い。流行りものに流されてフルサイズミラーレスに買い換える人もいると思うが、大半はいま所有していて手に馴染んでいる一眼レフで満足するのではないかと思う。また、ミラーレスの小型軽量を利点として打ち出してはいるが本体だけでも700gほどある。一眼レフよりは軽いが、重い のは変わらない。一眼レフ特有のミラーショックの感覚やシャッター音がたまらないと言う人もいる(僕とか)。



すでにカメラの性能は頭打ちしてしまっている。軽微な革新はあっても、大幅な革新は無さそうな気がする。それこそコンタクトレンズ式カメラとかが開発されれば大幅な革新だけど、もはやカメラとしての趣は消滅してしまう。


さてさて、30年後に「カメラ市場」は生き残っているのか。


各カメラメーカーさん、ついていきますんで頑張りましょう。