まめカメラ

まめのカメラブログ

カメラが好きな八王子在住 28歳のブログ

Leica Mモノクロームは行き着く先のカメラ

僕は基本的にモノクロで撮る。

 

理由は何個かあるけど、Vivian Maierの写真集にとてつもなく感動したことが大きい。

 

Vivian Maierについては下記過去記事を参照

Vivian Maier -撮りたかった写真、これ!- - まめかめら

 

Vivianにならってモノクロかつ中判カメラ(二眼レフ)のような1:1の正方形の画角で撮ることが多い。

 




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モノクロは色という先入観がない分、構図が重要になってくる。また質感が浮き彫りになるので道路やビルや看板など無機質なものが多い街中スナップとは相性が良いように思う。

 

 

で、2015年にドイツのライカ社から発売されたカメラが、

 

 

 

もう、

 

もーう、度肝を抜かれるというか、

 

 

崇めたくなるほどほんっとに素晴らしいのだ。

 

 

 

デジタルカメラなのにモノクロしか撮れないってなに?!

Leica M モノクローム

 


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この時代に、モノクロしか撮れないってどういうこと?って感じだが、別に手抜きではない。あえてモノクロしか撮れないのだ。このスペックを通したライカという会社に脱帽、取締役様方に脱帽。

 

 

だって販売会議で

 

社員「現在モノクロしか撮れないデジタルカメラの開発を検討しております」

役員「ん?え?ん?ん?ちょ、、え?」

社員「カラーでは撮れません。モノクロのみです」

役員「…ぁあ、んー、んー、おけそれで行こう開発進めて」

 

ってなったってことでしょう?!

イカはどんだけカメラが好きなんだよ

どんだけカメラ好きの気持ち分かりまくってんだよ

 

無駄にカラー写真が撮れるような設定を一切排除してモノクロのみに集中できるプロ仕様。時代を逆行する孤高のカメラはこの1台のみだ。

 

 

そして実を言うと先日購入したFUJIFILM X10の購入の決めては他ならぬLeica M モノクロームにデザインが似ていたからなのだ。

 

↓ネットで拾った画像。FUJIFILM X10のフロントにLeicaのシール貼ってる…笑 (さすがにそれは原付にバカでかいマフラー取り付けて中型バイクっぽくしてる10代ヤンキーみたいだからやらない、そしてFUJIFILMへの冒涜だ)

 


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ただ、Leica M モノクロームは日本円にして

100万円以上

 

入社5年目のサラリーマンには買えるはずもない。だか、やはり死ぬまでには手に入れたい、Leica M モノクローム。中古車買ったと思えばそれほど高くはないのだけれど、、、奥さんが怒るので買えるとしても何十年か先かな。

 

Leica M モノクロームは確実に「行き着く先のカメラ」だ。ゴールと言っても過言ではない。

 

 

まだ1度たりとも触れたこともない。

36回払いとかで買えないかな…

 

いや係長になったらだな、うん

 

 

このカメラを手に入れる日を楽しみに、明日も頑張るぞっ!

 

 

 

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【短編小説】吾輩は犬である

私は犬である。 「犬」というのは表向きな名称であって、正直なところ、実を言うと、この地球の侵略者なのだ。これは誰にも言ってはいけないことだ。人間にはもちろん、猫にも言ってはいけない

私はさも飼い主に懐いているように見せている。飼い主が帰宅すれば足元をグルグルと回り、飼い主が布団に入ればトコトコと近寄り毛布に潜り込む。 これは全て演技であることを人間たちは知らぬだろう。我々「犬」がある日を待ち、その日までキュートで可愛くプリティな小動物を演じていることに気づいてはいない。 その日が来れば、私のこの鋭い犬歯が、人間の喉元に噛みつき、食い込み、すぐさま布団を赤く染めるだろう。

我々は人間を滅亡させるべくこの地球にやってきた。当時人間たちには今ほどの知恵はなく、火を起こし、猟をし、穀物を育てていた。しかし人間の文明の発達は著しく、我々犬には手に負えぬほどの武力を備えるまでとなった。

人類滅亡の任を受けた大先祖様たちはそんな人間を観察し、数の面でも、武力の面でも苦戦するだろうと察した。 そして、人間の生活に潜り込み油断させたところを、文字通り寝首を搔く作戦を企てたのだ。

それから我々はあえて人間の支配に下り、何千年という辛抱を超え、ようやくその日が近づいてきたのだ。人間が我々に大いに心を許し油断しきった日。それが我々「犬」の報復の時だ。隣の家の「犬」──大型でジョンと呼ばれている──とも昼間密会をしたが、一刻も早く飼い主の寝床に襲いかかり噛み付いてやりたいと息巻いていた。

先述の通り、我々「犬」は地球外の生物であるから、地球での科学的な理屈は通用しない。人間は気づいていないが、我々のDNAにはこれまで我々「犬」の歴史・記憶全てが詰まっている。全ての祖先の記憶を自身の体験のように振り返ることができるのだ。

そして我々「犬」は非常に耳が良い。これはこの地球上での生存競争に優位であるためだが、もうひとつは我々が待ちわびる「Xデー」の情報を聞くためである。これは人間や猫どもにも聞くことの出来ない特有の高周波の音である。我々はそれをキャッチしXデーが近いことを知ることが出来る。

嗚呼、遂にこの時が訪れるのだと思うと身震いしてしまうほど気分が高揚するものだ。私はまだこの地球に生まれ落ちて5年ほどであるが、人間には多くの羞恥を受けた。

木の枝をくわえては渡し、投げられ追いかけ、またくわえては渡し、また多くの人間は「オテ」と言い我々の前足をなんとか自分の掌に乗せようとしてくる。 そんな屈辱の日々とももうおさらばなのだ。この時のためにあらゆる屈辱に耐えてきたのだ。ようやく我々の悲願が達成されようとしている。

それにしても猫どもは相変わらずスカしていやがる。かつてはともに人間を滅亡させるべく同盟を組んでいたが、自由気ままで気分屋の猫どもは人間との共存を選んだ。我々の計画は猫どもにも知られてはいない。我々の目的は人間の滅亡であるから、猫どもとの無意味な衝突・リスクは避けるという賢明な判断を大先祖様たちがしたのだ。

夜、あの高周波をキャッチした。今日があの待ちに待ったXデーなのだと言う。喜びに跳ね上がった。 すでに我々「犬」は人間の傍らに配置している。何千年という努力により我々を飼育している人間───正確には飼育していると思い込んでいる───は全人口の95%を超えた。我々の計画通りにことが運べば、今日、人間の95%はたちまち絶命する。残り5%はゆるゆるとじっくり追い詰めトドメを刺せばいい。

夜中の2:00、作戦が実行されるという情報をキャッチした。時刻は23時を過ぎており、飼い主もあくびをしながら布団へ向かった。呑気なものである。2時を回れば5%しか生き残らないというのに。

2時前、全ての「犬」が配置についた。 私もゆっくり、ゆっくり飼い主の枕元に近づく。喉元を凝視する目が充血する。ヨダレを抑えきれない。

時計が2:00を指した。

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日常はラッキー

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家から5分ほど歩くと川沿いの道に出る。梅雨が明け太陽が顔を出し、陽射しが肌を刺すような感覚を覚える中、FUJIFILM X10を持ち歩く。

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「カメラを撮る」というのは目的と手段が逆になってしまっているように思うが、彼ら(カメラたち)に愛があるからこそ、撮るだけではなく撮ってあげたくなるのだ。 子どもを撮る父親の気持ちに近い。色々な角度から見る我が子の全てが愛おしくて愛おしくてたまらない。 傍から見れば「なぜカメラを撮っているんだ?笑」って感じだろうけど笑 知らん、俺はカメラが好きだからカメラをモデルに撮るのだ。カメラのポートレートなのだ。

小規模な河川敷を歩いていると川を見下ろす男性がいた。後ろ姿になんだか哀愁を感じてシャッターを切った。

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近所では夏祭りが催されていた。高台の小さな公園で小規模ながらお立ち台も設置されていて、お祭りらしくフランクフルトややきそばも売っていた。

小さい子どもも多くいて、洋服より甚平や浴衣を来ている子が多い印象だ。お立ち台をぐるぐる走り回って追いかけっこしている子達や、おもちゃくじで当たったであろうラッパのおもちゃを高らかと吹き鳴らしながら走る子がいた。 子どもが元気だとあらゆることがなんだか大丈夫な気がする。おじさんになったかな。若い活気ってやっぱり大事だ。うん。

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哀愁漂う河川敷の男性も、ラッパを吹き鳴らす男の子も、僕がその場に行かなければ、その瞬間に行かなければ会えなかった人間だ。さらに言ってしまえば、その瞬間にその場に立ち会えたこと、その時カメラを持っていたこと、シャッターを切れたこと、全てが合い重なって撮れた写真だ。

その場に行かないという選択も出来たし、カメラを持っていかないという選択も、シャッターを切らないという選択も出来た。

まったく同じ写真を撮ろうとしても──君、君、もう1回ラッパを吹き鳴らしてくれないか?とか言って──、そこには被写体の意図や緊張感が介在して、似ていてもまったく別の写真になってしまう。

そんなあらゆる可能性(何兆通りという膨大な選択の連続)がある中、これらの写真を撮れたことが奇跡だと思う。奇跡というとオーバーな表現になるか。「ラッキー」かな。ラッキー。

しかし写ったそれらはただの日常だ。 とすれば日常はカメラによってラッキーになる。カメラを持っていないと見逃してしまうラッキーをシャッターを切って捕まえているような感覚が、やっぱり大好きだ。

心底カメラを持ち歩いていて良かったと思えた休日だった。

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この不便さ、たまらん

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FUJIFILM X10が僕の元に来てから早3日

シャッターボタンを付けたり、サムレストを付けたり、専用首かけケースに入れたり、レンズフード付けたりと思い思いのデコレーションをした。あかん、楽しい、可愛い、好き。やっぱりレンジファインダーってデザイン好きだなぁ。

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そして、使ってみてやはり感じます。

心地よい不便さ!笑

E-M10 Mark2を基準で考えているからだろうけど、まずタッチ液晶じゃないんですね。ピント合わせたい位置にタッチしてもフォーカスが合わない!あ、そっか!これX10やん!!ということが何度かあった笑

あとはやっぱりバッテリーはすぐ切れますね。2日撮り歩いたら充電0になりました。替えのバッテリー持ってるから大丈夫ですが。

あとあと!笑 やっぱり光学ファインダー見ないっす笑 ただの窓だとは思っていたけど、1度も覗かなかった。パララックスに怯えているというのもあるから、窓を覗いてもちゃんと思った構図で撮れるように練習しないとなぁ、手がかかりますね、いい意味で。

なんだかあれだ、ちょっと出来の悪いやんちゃ坊主には余計に構ってあげちゃう体育教師みたいな気分(例え話が下手なのでやめておけと上司に言われている)。 手がかかるって、なんだか可愛い。

それに街中でこれを構えて撮る時の嬉しさ楽しさったら無い。手に持ってるだけで楽しい。マジで。

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あと僕だけかもしれないけど一眼レフとかで撮るよりレンジファインダーの方が変質者感が無い?笑 人目が気になるたちでしてね。はたから見ていても街中でごっつい一眼レフを構えてる人がいたらなんだかちょっと怖くて避けるように通り過ぎたくなるかな。でもレンジファインダーなら余計な存在感も圧迫感もなく、オシャレなカメラだなぁくらいにしか思わないかも。僕は笑

あと性能で言えば、オートフォーカスは速いからストレスはない。F値絞って撮ることが多いから、あんまMF使わないし。

あとは軽くて楽だし、コンデジにあるまじきズームレンズがまた良い。画角をすぐに決められる。それにズームレンズを握っている感触も心地よい。リングの径が小さいからかな。

といったところで、不便さはあっても不満は無い。その不便さをかき消せるレベルでフォルムが可愛いしホールド感も絶妙だ。

現行のデジタルカメラはほとんどが高性能でシャッターボタンを押すだけで綺麗に写真が撮れるこの時代に、あえて手のかかるこんなコンデジは一周まわって新鮮である。ぜひオススメしたい。

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「街」と「ひと」が5:5の写真

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人間を被写体とする場合、被写体との距離には撮影者自身の、人間との距離感が表れると思っている。

僕はあまり人付き合いが上手な方ではない。だから、ストリートスナップをする時は1歩どころか10歩くらい引いた構図が多い。

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だから「街」の要素と、「人間」の要素がフィフティフィフティになる。到底、ポートレートとは呼べない。ポートレートを撮っている認識はないから問題ないのだけれど。

Instagramで街中のポートレート(人間にスポットをあてたストリートスナップ)をよく見るけど、撮影している時の状況を想像するとすごいなぁと思う。こんなに人間に寄って撮れるのはなぜだろう、って。Void Tokyoとかね。リアリティもあるんだけどクールでアートっぽさも含まれてる。その被写体の表情がポイントかな、目が行ってしまう。

肖像権がなんたらっていう記事がカメラ雑誌に掲載されていたりするから、ストリートスナップもだいぶ肩身が狭いのもあり、やはり僕には度胸がないから人間にスポットをあてた写真を撮るのは難しいな笑

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