まめカメラ

まめのカメラブログ

カメラが好きな八王子在住 28歳のブログ

日常はラッキー

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家から5分ほど歩くと川沿いの道に出る。梅雨が明け太陽が顔を出し、陽射しが肌を刺すような感覚を覚える中、FUJIFILM X10を持ち歩く。

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「カメラを撮る」というのは目的と手段が逆になってしまっているように思うが、彼ら(カメラたち)に愛があるからこそ、撮るだけではなく撮ってあげたくなるのだ。 子どもを撮る父親の気持ちに近い。色々な角度から見る我が子の全てが愛おしくて愛おしくてたまらない。 傍から見れば「なぜカメラを撮っているんだ?笑」って感じだろうけど笑 知らん、俺はカメラが好きだからカメラをモデルに撮るのだ。カメラのポートレートなのだ。

小規模な河川敷を歩いていると川を見下ろす男性がいた。後ろ姿になんだか哀愁を感じてシャッターを切った。

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近所では夏祭りが催されていた。高台の小さな公園で小規模ながらお立ち台も設置されていて、お祭りらしくフランクフルトややきそばも売っていた。

小さい子どもも多くいて、洋服より甚平や浴衣を来ている子が多い印象だ。お立ち台をぐるぐる走り回って追いかけっこしている子達や、おもちゃくじで当たったであろうラッパのおもちゃを高らかと吹き鳴らしながら走る子がいた。 子どもが元気だとあらゆることがなんだか大丈夫な気がする。おじさんになったかな。若い活気ってやっぱり大事だ。うん。

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哀愁漂う河川敷の男性も、ラッパを吹き鳴らす男の子も、僕がその場に行かなければ、その瞬間に行かなければ会えなかった人間だ。さらに言ってしまえば、その瞬間にその場に立ち会えたこと、その時カメラを持っていたこと、シャッターを切れたこと、全てが合い重なって撮れた写真だ。

その場に行かないという選択も出来たし、カメラを持っていかないという選択も、シャッターを切らないという選択も出来た。

まったく同じ写真を撮ろうとしても──君、君、もう1回ラッパを吹き鳴らしてくれないか?とか言って──、そこには被写体の意図や緊張感が介在して、似ていてもまったく別の写真になってしまう。

そんなあらゆる可能性(何兆通りという膨大な選択の連続)がある中、これらの写真を撮れたことが奇跡だと思う。奇跡というとオーバーな表現になるか。「ラッキー」かな。ラッキー。

しかし写ったそれらはただの日常だ。 とすれば日常はカメラによってラッキーになる。カメラを持っていないと見逃してしまうラッキーをシャッターを切って捕まえているような感覚が、やっぱり大好きだ。

心底カメラを持ち歩いていて良かったと思えた休日だった。

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