定期的に、「なぜ写真を撮るのだろう」と考え込む時期がある。その度になんらかの答えに辿り着き、納得し、また写真を撮り始める。
今回、この考え込む時期に入り込んだキッカケはInstagramをやめたことだ。めっきり写真を撮らなくなった。僕は承認欲求のために写真を撮っていたのだろうか、と悩んだ。
Instagramをやめた理由は、「別に世の中に発信しなくてもいいんじゃないか」と思ったからだ。いいねを稼ぐために大量のハッシュタグをつけたり、いいねの少なさに気分が下がったりすることに疲れた。SNS全般に疲れていたんだと思う。FacebookもTwitterもやめた。
前々から思ってはいたけれど、カメラとは「もっとも手っ取り早く簡単にできる芸術」だ。絵画のように何時間もかけてキャンパスに筆を当てたり、音楽のように楽器演奏のスキルを身につけなくてはいけなかったり、そういった努力はいらない。フレーミングや画角のセンスは必要でも、それは大袈裟なスキルではない。だからこそ多くの人間がスマホで写真を撮り、インスタ映えという言葉が生まれるほど写真は普及した。
そんなこんなで考えを巡らせていたら、僕がカメラを好きな理由が2つあった。
1つは「その瞬間を手に入れられるということ」
その光景、その瞬間をそのまま映し出せるのはカメラにしか出来ない。シャッターを押した時、気持ちはモンスターボールを投げつけポケモンをゲットしたような、そんな気分になる。
そしてそれは、デジタルよりフイルムのほうが強く感じる。36枚撮り終えたパトローネを取り出した時、まるで宝物がたくさん詰まった宝箱のように感じる。ギュッと胸に当て握りしめたくなる。
宝物なのだ。日常に宝物が隠れている。でもその宝物は中々見つけずらい。だからカメラを持って、立ち止まって、シャッターを切って、それを写真に捉えて、手に入れる。
だから僕は基本的にはストリートスナップを撮る。街と人の調和とノイズ を撮りたい。たまに被写体に迷うことがあるけど、やはり好きなものが被写体になる。飛行機、電車、花、ポートレート、競走馬、夜景などなど。 でも僕が胸を張って好きだと言えるのはカメラと奥さんくらいだ。カメラはたまに撮るけど、奥さんはカメラを向けられるのが苦手なようで被写体としてはなかなか難しい。
僕の宝物はその2つで分かっているのだけれど、それは被写体にはならない。だから、隠れた宝物を探しに街へ出て、ストリートスナップを撮る。
さてさて、カメラが好きなもう1つの確固たる理由は
カメラは最高にクールだから
世の中にはたくさんの種類のカメラがある。大きくごつい一眼レフや、小さくて機動性に優れたミラーレスやコンデジ、レトロなフイルムカメラ、そして様々な特色を持ったレンズたち。
男というのはカスタマイズが好きだ。レンズ交換はカスタマイズの最たるものだ。なんだか自分だけの武器を手に入れたような。
フルサイズ一眼に中望遠レンズを装着すれば存在感は物凄い武器のようだし、ミラーレスは短刀のよう。
手にしっかり収まるあの感じもたまらない。
僕も一眼レフに大きめのレンズを付けて存在感バリバリのカッコイイ武器を持って写真を撮りたいけれど、ストリートスナップで存在感は邪魔になる。なるべき小型で、ダイヤル操作が軽快で、機動性がなくてはならない。
様々な人に合ったカメラが絶対にあるのだ。
そのクールな武器で瞬間を写しとめる。
何を撮るか、何で撮るか。 考え込みながらカメラを続けたい。