まめカメラ

まめのカメラブログ

カメラが好きな八王子在住 28歳のブログ

30歳目前で思うこと


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ぼく、明日で30歳。

 

30歳…

 

 

早い。時の流れ早い。

 

ついこの間20歳だった気がしている。

社会人になってもう8年が経つし。

 

8年って言ったら小学1年生が中学2年生だ。

大学なら2周している。

 

こう考えると本当に長い時間に思えるけど

実際はあっという間に、気づいたら8年。

 

 

 

 

 

 

僕は成長できているのだろうか。

 

前回の節目、20歳の誕生日の時から何が変わっただろうか。

 

きっとまだまだ若いから、自分に多大な可能性を感じて

夢物語を繰り広げる幸せな悩みを抱いていたんだろう。

 

そういえば、僕は博物館の学芸員になりたかったのだ。

 

そのために学芸員資格を得られる大学にも入った。

 

でも今、サラリーマンを8年続けている。

 

 

あと10年経って、40歳になった時、

いったいどんな人間になっているんだろう。

 

40歳。すごい大人に思える。

 

でも20歳の頃の僕も、

30歳とはなんて大人なんだ、と考えていた。

 

実際はこんな感じで全然大人じゃない。

 

20歳の僕よ、よく聞け。

30歳の君は仕事と同じくらい

シャドウバースに熱を注いでいるぞ。

シャドウバースめっちゃ面白いぞ。


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脱線した。

 

40歳になった時に

 

10年前どんな考えをしていたか

 

を知るためにここに書いておきたい。

 

これは

30年生きてきた僕の真理 

だ。

 

20歳の、可能性を信じ、根拠のない自信でいっぱいだった僕との決別であり、

40歳の僕に向けた確認テストでもある。

 

では、30年の真理を書いていく。

 

 

 

 

 

 

 

1.配られたカードで勝負するしかない

 

この言葉は、スヌーピーで出てくる。


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『配られたカードで勝負するしかないのさ。

それがどんな意味であれ。』

 

 

人それぞれ。持っている個性もそれぞれ。

 

その個性が、配られたカードなのだとしたら

誰かが持っているカードを奪い取ることはできない。

真似をしている内に手に入れられることもあるだろうけど

『社交性がある』『モテる』『人の上に立つ力量』など

習得が困難なカードもある。

どう考えても自分のものに出来ないカードってある。

 

だから、ないんだから仕方ない。

 

ん?ジンベエも言ってたな。

 


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だから、持ってるカードで勝負するしかないのだ。

 

あなたが持っているそのカードは、

あのバリバリに仕事できてスタイル良くてモテてお金も持ってて話も面白くて販売成績の良い同期は持っていない。そいつには持つことのできないカードかもしれない。

 

自分のカードが分かれば、

どういった場面場所で使えば有効か

が分かるようにもなってくる。

 

『上に立つ力量』が無くても

『スーパー縁の下の力持ち』というカードがあるなら

別に出世街道に乗ってなくてもよいのだ。

 

心理学的に言うと

自己受容

をするということだ。

自己肯定ではなく自己受容。

肯定も否定もせず、現状の自分をただ受け入れる。

 

ただこの言葉は

 

諦めの言葉ではない。

 

だって持ってないんだから出来なくて当たり前じゃないですか~じゃない。

 

そうじやなくて

自分のカードを増やしていこうよ

って話だ。

 

つまりは勉強に励んでスキルを身につけるだったり

いろんな人と関わる中で自分も知らなかった自分にしかないカードを発見することだ。

 

人生ってそういうことじゃないかと

30の僕は思う。

 

 

2.一般ピープルとして死ぬ決意を持つ

 

 

日本人のの99.999%は有名人にならずに

一般ピープルとして死んでいく、らしい。

 

名声を得られるのはたったの0.001%なのだ。

 

その他大勢 の一般ピープルは100年経てば

もう覚えている人は誰もいない。

 

誰も覚えていない、

生きていた証明も残らない人は

この世界で生きていた という事実すら無くなる。

 

必死で80年生きてきたのに、

この世界にいなかった ことになってしまうのだ。

 

でもそんな人たちが日本人の99.999%なのだ。

 

それならば、僕もいい加減受け入れよう。

 

それが受け入れられなくて

悪事で有名になろうとするYouTuberにも

教えてあげたい。

 

 

 

 

3.人は大して自分を見ていない

 

 

仕事で使うケータイが未だにガラケーなのだけれど

外で着信があって電話していると

周りの人から

『えっ?!ガラケー?!』

『なに?時代に逆らってる俺かっけー!みたいな?』

と思われていそうで、

電話が終わったら

すかさず自分のスマホを取り出してみたりする。

 

 

いや、そもそも誰も自分のことなんて見ていないし

なんならそう思われたところで別に損もしないし

たかが、二度と会うことない通行人だし

10秒後には晩御飯のことを考えているかもしれない。

 

人は案外自分を見ていないし

どう思われるかを気にして余計な行動を起こすべきじゃないのだ。

 

昨日食べすぎてちょっとむくんでるな なんて

気づけるのは自分だけなのだ。

 

誰も僕のことなんか見ちゃいない。

 

上司に怒鳴られた夜に一人悩んで泣いていても

上司は家でビール飲みながらプロ野球観戦しているかもしれないのだ。

反省は必要だが、誰かがずっといい意味でも悪い意味でも自分のことを考え続けていることなんてそうそう無い。恋くらいだ。

 

だから、他人の目っていうストレスの元は

早々に排除した方が良い。

若い内は気にして気にして、

狭い世界で空回りしてしまうけどね。

 

 

4.すべてに意味は無い

 

 

 

僕はゲームが出来なかった。

 

出来ない というか、

 

『ゲームを長い期間続けることが出来なかった』

 

 

ある程度やりこんで

ゲームの全容を把握できて

用意されたゴールまであとちょっと

というところで

 

これやっててなにになるんだろう

 

といきなり冷めてしまって辞めてしまう。

 

ポケモンで四天王を倒したところで

お金にもならないし、

実生活で応用もできない。

時間だけ食って、終わる。

なんて意味がないのだろう。

 

 

と、思っていた。

 

でも、すべてのことに大した意味は無い。

 

人生すら意味はない。

 

意味は自分でつけるものだ、とか言うつもりはないんだけど

上で書いたように一般ピープルはただ息を吸って吐いて死んでいくだけ。いつかこの世界から痕跡が跡形もなく無くなる。

 

 

ならば、無駄な時間を楽しめばよいのだ。

 

無駄な人生から無駄なものを切り捨てることは出来ない。

 

とことん無駄を楽しむだけなのだ。

 

 

5.ライフワークを持ってるとハッピー

 

 

趣味ですね。

社会人は趣味があるないで全然幸福度が変わると思っている。

 

僕はカメラが好きで、

ふらっと街に繰り出してストリートスナップしたり

山に入って野鳥撮影をしたりしている。

文化と自然という真逆の2つのテーマがあるからどちらにも感銘を受けてとても楽しい。

 

最近ではシャドウバースにハマっている。

毎日隙あらばやっている。

僕もゲームが出来るようになったのだ。

 

 

こういったライフワーク、趣味が日々に彩りをくれる。

 

 

ただひとつ気を付けなればいけないのは

 

 

他人の目をきっかけに始めた趣味は続かない

 

 

ということだ。

 

街でポツンと置いてあるグランドピアノで華麗に弾いて褒められたいなぁ

などと考えてピアノを買っても1週間も続かないし

 

Instagramでバズりたい!とキャンバスに油絵を描いたところで、そんなすぐにクオリティの高い絵が描けるわけもなく挫折する。

 

 

きっかけが

他人に褒められたい とか

他人を見返したい とかだと

そうそう続かない。

 

 

新しい趣味を始めたいとき、

一度立ち止まった自分にこう聞くといい。

 

『人類が自分一人でもそれがやりたいか?』

 

 まぁ、趣味って

 

趣味にしよう

 

じゃなくて、

 

気付いたら続けていたことが趣味

 

なんだろうけど。

 

 

 

 

以上

 

 

 

 

 

ということで、5つの真理でした。

 

30歳か。身の振り方改めないとな。

 

 

 

 

 

遊戯王よりストレス無い!笑 シャドウバース





最近始めたゲーム

「シャドウバース」



始めてから7日目かな。











くっそ面白い。

もう毎日4・5時間シャドバしてます。


トレーディングカードゲーム
僕も遊戯王やデュエマなどをやっていた。
シャドウバースはそれらのルールと多少似通ってはいるけど全く違う魅力がある。


今回は

シャドバを始めたきっかけ

シャドバの魅力とはなんなのか

を7日目時点ですが記載していきたい。


きっかけ

僕はスマホゲームが結構すきなので、
自分の好みに合いそうなゲームを
インストールしまくっては
序盤だけ体験して、
続けるか、アンインストールするか
を選んでいる。

以前、この「シャドウバース」を
インストールしたことがある。

だが、序盤のチュートリアルをやっていて

「攻撃力2?遊戯王みたいに2500とか3000とかじゃないの?」

「単純な足し算引き算でつまらなそう」

「カードの種類がたくさんあるんだろうけど、
よくわからないしチュートリアル
出てくるカードのデザインが安っぽい」

という印象を持ったので
アンインストールした。


ここ数年はエバーテイルにハマっていて、
数万だが課金もしていた。

だが最近エバーテイルも頭打ちしてきて、
ログインボーナスを受け取るだけになっていた。

なにか面白いゲームはないだろうか、
と僕はまたゲームのインストール、
アンインストールを始めた。


そこでインストールしたのは

「ハースストーン」

というゲームだった。


ハースストーンのチュートリアルをしているときに

あれ、これ、前にアンインストールしたシャドウバースとルール一緒だな

と気づいた。

しかもこのハースストーンのチュートリアル面白い。
意外と頭を使ってバトルするということが分かる内容だった。


そのままハースストーンを続けてもいいけど

シャドウバースは電車の広告でよく見かけていたり、
ウマ娘とコラボもしていたし、
プレイヤー人口もシャドバの方が多そうだな、と思い

改めてシャドウバースをインストールした。



以下、僕が7日間プレイして感じた
シャドバの魅力である。



・一試合5分!バトルのスピード感がすごい!




シャドウバースの一番良いところ。

内容が濃いわりに一試合5分くらいで決着がつく。

これってなぜかって言うと、

ターン制ゲームなのにトラップカードがない

からだと思う。

ラストワード という破壊された際に発動する能力はあるものの、
カード詳細に書いてあるから
自分も相手もその能力を把握しているから
それを含めて戦略をたてればいい。


つまりは、

自分のターンに相手は何も動けないので、
中断させられたり相手が長考する時間が発生しない。




逆に
遊戯王マスターデュエルはホントにひどい。

先攻をとられようもんなら、
3分くらい待たないと自分のターンにならない。

一試合20分くらいかかって、
その内待ち時間が15分くらいある。

これはタイムパフォーマンスがとても悪いし
ちょっとした隙間時間では楽しめない。


そんな苦い経験があるので、
シャドウバースの疾走感が心地よいのだ。


・ログイン、ミッションボーナスが適度


他のゲームでよくあるのが、
ログインボーナス、ミッションボーナスの
種類がめちゃくちゃ多くて、
全部のボーナスを受け取るだけで
5分くらいかかってしまう。


(エバーテイルのホーム画面。赤いポップがログインボーナス。全部回るのめちゃくちゃ時間かかる)




デイリーミッションも10個くらいあったりすると
まずそのデイリーミッションをクリアするために
30分くらい必要になる。

そんなの無視すればいいんだけど、
それはそれで貰えるもの貰えず損したような気分になってしまって、
なんだかどちらにせよ気分がよくないのだ。


シャドウバースは
デイリーミッションは3個!
しかもバトルで3回勝利、とか
5回勝利とか、なので
対戦しているうちに達成している。

ログインボーナスも普通にログインしたときだけ。

なんとも潔い。シンプル・イズ・ベスト。

このような感じで、

ボーナス、ミッションが適度なので、
自分がしたい対戦に集中できる。

ノーストレスなのだ。


・意外と頭使う

僕は基本、「頭を使うゲーム」が好きだ。

最近はオートでバトルが進んだり、
放置している間もレベルが上がるみたいな
ゲームが多くなってきたけど

僕はゲームには「達成感」がマストなので、

楽して勝てるゲームをしていると
「これやってて人生の何になるんだろう」
と冷めてしまう。

シャドウバースは見た目以上に
頭を使うゲームだった。




限られたプレイポイント(PP)でどのカードを出すのが最良なのか、

相手のライフポイントを削った方が良いのか、
カードに攻撃した方が次ターンを優位に運べるのか

どのタイミングでカードを進化させるのが適切なのか

など、すべての選択肢がゲームに色濃く反映される。

相手のデッキによっても戦法を変えていく必要もあって、なんとも奥深い。


昨日8時間くらいプレイしてたら知恵熱出た笑

そのくらい頭を使うゲームだ。


・アニメ シャドウバースフレイムがアツい!


シャドウバースフレイムを見ると、
いろんなクラスの戦法や切り札を学べる。

シャドウバースの勉強にはもってこいなのだけど、
それよりも心動かされたのは
ストーリーとキャラクターだ。


主人公は一度もシャドウバースをプレイしたことがないのに、シャドウバースの学校に入学する。
だが、「初心者だ!」と胸を張って言っている。
しかも誰彼構わずゲームを挑み、根拠のない自信で満々だ。


そうか、誰だって最初は初心者なんだ。

初心者って恥ずかしいわけじゃないんだ、
胸張っていいんだ、って気づかされる…。


そのほかにも、


人と関わるのが苦手でデジタルアバターでしか人前に出られない者、

期待に応えきれず自分を卑下して斜に構えた生き方になってしまった者、

圧倒的な敗北から希望をみることを諦めてしまった者、

自分の好きを公言できずに自分の居場所を見つけられない者、、、


なんともテーマが重く、
しかしながら現代では溢れかえっている心の穴だ。

そこにスポットを当て、
シャドウバースを通して
心の汗を流しながらも
各々が自分自身を超えていく。

なんともアツいストーリーである。



そして僕としては

風祭レンと小鳥遊ツバサが
打ち解け合う回が大好きだ。

大好きというかもう

大好物だ!!



先輩ギャルのツバサと、体育会系女子のレン…。

仲間とかうぜぇ と突っ返すツバサに引かず
なんとか仲良くなろうと奮闘するレンが
シャドバでのバトルを通して友達になる。

そして、打ち解けあったその日のうちにツバサの家に


泊まる!!!!!

尊い。尊すぎるぞ。

あんなにツンツンしてたツバサが
優しい口調で「レンの話聞かせて?」なんて言うもんだからもうツンデレ最高すぎるだろ、たまんねーだろ、となったわけだ。



すこしヒートアップしてしまった。


それぞれの物語で結構胸打たれるようなセリフもあるし、仲間との絆に鳥肌が立つ程感動してしまう。

シャドウバースフレイムはいいアニメだ。







と、いうことシャドウバースの魅力でした。


周りにやってる人いるかなぁ。
友達と対戦とかいつかしてみたいな。

へば!

【短編小説】隻眼の猫

あるところに目がひとつしかない猫がいた。


産まれて初めて目が開いた時、すでに誰もいなかった。
他の猫に会ったこともないし、もちろん親にも、兄弟にも会ったことはない。
そのため、自分が猫と呼ばれる生き物であることも知らず、まだ十分に歩けないような頃から自力で、寂しく、死に物狂いで、なんとか生きてきた。


産まれ落ちたこの小さな森が住み処だ。
この森はネズミが多い。初めてネズミを食べた時のことは今でも忘れない。まるでこのために生まれてきたのではないかと思うほど、身が震える味がした。
それから毎日のようにネズミを追い回してはご馳走になった。


冬が来てネズミたちが冬眠してしまうと、木の実や果物を食べて過ごすしかなかったが、やはりあの味が忘れられない。

ある冬、食べ物を探してあちこち歩いている内に小さな町に行き着いた。
すると道の先にネズミの大群が通り過ぎるのが見えた。
森でも見たことないような大群だ。
ネズミ。久しぶりのご馳走だ。ヨダレが垂れるのを堪えながら、そーっとそのネズミの大群のあとを追った。

『40、いや50匹はいるぞ・・・。
巣まであとをつけて、全部食べてしまおう!
ふふふ、楽しみだなぁ』



ネズミたちは建物と建物の隙間にある土管の中に入っていった。

『あの中がネズミたちの巣か。
よーし手を突っ込んで1匹1匹ご馳走になるとするか・・・』


薄ら笑いをしながら土管に近づいた時、近くにあったゴミ箱から「ガラガラ!」という音がした。
自分以外にもこのネズミたちを狙っているやつがいるのだろうか。猫は身構えた。

ゴミ箱の横から、何かがひょこっと顔を出した。


その生き物は三角の耳、しゅっとした鼻先、頬から伸びるヒゲ、クネクネと動く尻尾に、茶色の毛並み。
猫はその生き物と自分の身体の特徴がとても似ていることに気づいた。
だが、その生き物には目が2つあった。


『うわぁぁあああ!!
目が!!目が2つもある!!』


(なんだこの生き物は。き、気持ち悪い。僕とそっくりだけど目が1個多い・・・。目なんて1つでいいじゃないか。似ているけど僕とは違う別の生き物なんだろうか・・・。)

猫はその生き物が気味悪くなって、あれだけ切望していたネズミのことも忘れて、その場から逃げ出したくなった。だが、2つの大きな目で見られていると、足がすくんで動きたくても動けない。


目が2つの生き物が話しかける。

『あなた、目が1つしか無いのね。
可哀想に・・・。』


『いやいや!そっちこそなんで目が2つもあるんだ?!君はなんていう生き物なんだ?』

『二足歩行の生き物たちは私の事を猫とかモモちゃんと呼ぶわ』

『猫・・・?』

『そう。あなたも猫なんじゃないかしら。目が1つ足りないけど。』

『僕が君と同じ?!猫?!そんなわけない!
目が2つあるなんて、き、気持ち悪いよ!一緒の生き物だなんてやめてくれ!』


するとまたゴミ箱からガタガタ!という音がして、3匹の小さな生き物が出てきた。


『私の子供たちよ。』


その子供たちにも目が2つあった。

猫は恐ろしくなってついに逃げ出した。



無我夢中で走っている内に町の奥の方まで来てしまった。建物とアスファルトの道路ばかりで、森や林などの自然はだいぶ遠くになってしまったようだ。二足歩行の生き物が縦横無尽に行き交っている。


ふと道路の向かい側を見ると、自分と同じ目が1つの生き物がいた。
自分と同じ、目が1つで、尻尾が1本で、手足が4本、ヒゲが鼻の近くに3本ずつ、三角の耳、毛並みまで一緒だ。


『やっぱり仲間はいたんだ!』

猫はその仲間に歩み寄った。するとその仲間も同じように近づいてきた。
その時、大きな箱が迫ってきた。箱は4つの丸太のようなものを前後ろに2つずつ付けていてすごいスピードで猫の後ろ足を踏んずけていった。
足に激痛が走る。堪らず大声が出る。


やっと、やっと仲間に会えたのに。
僕が何をしたって言うんだ。2つも目がある変な生き物も、4つの丸太の箱も、なんだって僕の邪魔をするんだ。おかしいのはお前たちじゃないか。なんで僕がこんな目に遭わなければならないんだ。

猫は前足だけでズルズル、ズルズルと前に進んでいった。


やっとのことで仲間の目の前まで来ると、猫は右の前足をあげた。するとその仲間も同じように左前足をあげて、手が重なった。


やっと仲間に会えたのだ。この世に生まれてからずっとひとりだった。寂しかった。辛かった。ネズミなんていらないから誰かがそばにいて欲しかった。これで僕はもうひとりじゃないんだ。


2匹は寄り添うように体を合わせた。

安心して、いつの間にか寝てしまった。

翌日、二足歩行の生き物が、目がひとつの奇妙な猫の死体が雪に埋もれているのを発見した。


猫はショーウィンドウにぴったりとくっついたまま固くなっていた。

タバコを吸う理由~無意味な時間~

タバコをやめようと禁煙をしてみたところ
22時間でギブアップ。

これはアカン、
根性論作戦は失敗や、と思い

ちゃんと敵を知ること

動機付けから改善すること

を目的とし、

この記事で、考えをまとめたい。



つまりは

タバコをやめられない理由ではなく

タバコを吸う理由 を明確にすることで

その理由を喝破し

根本から否定していこうという試みである。



まず、最も重要な「タバコを吸う理由」について真っ先に書いておこう。

依存症だから

は誰にも共通する理由だから、
僕特有の「タバコを吸う理由」だ。


それは

「時間に意味を持たせたいから」

だ。



人生はとてつもなく暇だ。
平日は仕事に追われ、土日で英気を養う。
でも、そのほとんどは暇だ。
仕事は時期によってめちゃくちゃ忙しかったりもするが、休憩がとれないほどではない。
休日なんて、やらなくてはいけないこと、は家事くらいで、やはりそのほとんどは暇な時間だ。
人生は壮大な暇潰しとよく言われるけど、その通りなのだ。

我々人間は、その暇をなんとか潰そうと
夢を追いかけたり、
趣味にいそしんだり、
テレビを見たりゲームをやったりしている。
潰しても潰しても暇はやってくる。
人生はあまりにも長い。

タバコも「暇だから」吸うのだ。
暇を潰しているにすぎない。

しかも都度お金を払って(1本あたり25円も)
暇を潰しているのだから
その潰した時間にも、費やしたお金と同じくらいの価値が付与されるような気がして、まんざらでもない。

ここまでで最も重要なワードが
価値の付与 だ。


喫煙は休憩になる。
休憩は過去を癒し、
未来への活力になるのだから価値がある。


つまりは喫煙の時間(休憩)に意味が見いだされ、
経過した過去も肯定することで意味を見いだし
活力を持って臨む未来をも意味を持たせることになる。


仮にこれが正しいとすると

「タバコを吸わないのならば日々は無意味である」

という逆説も成り立つことになる。


そんなことはない。
タバコを吸わない人のほうが多い。
その人たちすべての日々が無意味である、ということになってしまう。
それはあまりに横柄な考えだ。


ここで僕が提唱したい考え方は


「すべてのことに意味はない」
ということだ。


タバコを吸おうが
テレビを見ようが
ゲームをしようが

その行為、時間に
意味は付与されない。

これは宇宙的無意味論と同じと思ってよい。
すべてのことに意味はないのだ。


と、すると


タバコを吸うことも意味はないのだ。

そう考えると

喫煙は時間に意味を付与するため、
という理由が成り立たなくなる。

そもそも、時間に意味を付与することなんて出来ないのに
付与できていると錯覚している、ということになるのだ。


そして、「時間に意味を付与する」ということは
「無意味な時間を生きたくない」という根本的な思考が垣間見得る。

しかし、すべてのことが無意味であるのに
無意味な時間を生きたくない ということは
「この世を1秒足りとも生きたくない」ということになってしまう。


ここで、解決策となるのが

無意味の受容 だ。


時間には、どうあがいても意味を付与できない、

タバコを吸おうが、吸わなかろうが
どちらにせよ意味がない、

喫煙によって前後の時間軸に価値を付与できた気でいたが、それも不可能なことである、

日々は区切る必要もなく、ただただ「無意味」であるのだ。


どう足掻いても無意味。


でも、無意味であるから、
日々に意味が見いだせたような瞬間に出会った時に
幸福を感じられるのだ。


そして、
「あの人は価値のある時間を過ごしているのに」
と焦ることもなくなる。

等しく、誰の時間も無意味なのだから。


これはとても心が軽くなる考えだ。


見栄をはって電車でスマホじゃなくて
本を読んで悦に浸る必要も

Instagramで嫉妬することもなくなる。


無意味であることを受け入れることで

ありもしない意味を持った時間を生きることはなくなるし

無意味と切り捨てた数時間をちゃんと

無意味な時間として味わえる。

無意味な1秒1秒をしっかりと生きられる。


世の中は、そのくらいのほうが過ごしやすいのだ。

実にシンプルだ。




ということで、

僕のタバコを吸う理由

「時間に意味をもたせたいから」

という理由は論破された。


敵がはっきりと見えた。

自分の中でも深く理解ができた。


あとは禁断症状を感じるたびに
この記事を見て理性を保つだけだ!!


へば!!

【読書感想文】限りある時間の使い方

どうも、まめです。

今回は読書感想文。

「限りある時間の使い方」




先日、会社の帰りの電車の中で
暇だったのでスマホを開いた。

「なにか調べ物でもしよう」
と思ったが、特に思い浮かばなかった。

TwitterInstagramを眺めていれば時間は過ぎるけど、別にSNSで何かを見たいわけでもなかった。

Amazonプライムでダウンロードしたアニメを見ても良かったけど、なんだか気が進まなかった。


僕はその時、完全な暇になった。

ただ座って、窓の外を眺めて、電車に揺られていた。

それがなんとも心地好く感じた


「何もしない」なんて
いつでもできるのに僕は今までしてこなかったのだ。


知らず知らず内に、休日ですら予定を埋め、
忙しい状態にハイになっていた。

なにかをして、有意義に過ごしていないと
自分がどんどん無意味な存在になっていくような気がしていた。

湯船に浸かっているだけでも
なにか悪いことをしているような気がして
10分も入っていられない。



それとは真逆に

寝る前にSNSを1時間くらい眺めたり

お酒を飲んで意識が定まらない状態になってすぐ寝てしまったりと

時間を無駄にすることもあった。(ほぼ毎日酔っ払い笑)


「時間」・・・

時間ってなんだ?

ということで手に取ったのが

本書

限りある時間の使い方 だ。



このタイトルを見ると

いかに時間を有効活用出来るようになるか

自己啓発本の典型みたいな内容に思えるけど

元のタイトルは「4000weeks」。



僕はこの本を読了して、
もし日本語のタイトルをつけるとしたら
「4000週間の使い方」だ。


まあ「限りある時間=4000週間」だから
あまり変わらないんだけど。



80歳まで生きるとしたら
人生はおよそ4000週間しかない。

だから

・限りある時間を、そして今という瞬間をしっかり味わおう

・時間は有限だから達成できないこともあることを理解しよう

というのが本書の主な呼びかけだ。



僕はこの本を読んで世界が一変した。

そんな大袈裟なことがあるか、と
自分も思っていたけれど
本当に時間の感覚が変わったのだ。

1日24時間は短いと思う一方、
24時間もいらない、と思うことある。

それが
ぴったり24時間が心地好くなった。


時間の渦から抜け出したような感覚。

今という瞬間を生きている感覚。


あの時、電車の中でAmazonプライムのアニメを見ていたら、知らなかった世界にいる。


下記では本書の中で

心に響いた言葉

をいくつか挙げながら、
テーマごとにまとめて、
自分の感想も添えたいと思う。


テーマ
・時間の有限性について
・選択肢と決断
・時間の速度
・宇宙的無意味療法



では、いざ!(ง •̀_•́)ง⬇⬇⬇


心に響いた言葉


・時間の有限性について


自分の時間は、あまりにも短い。
その事実を直視するのは怖いことだ。

僕たちが気晴らしに屈するのは、
自分の有限性に直面するのを避けるためだ。
つまり、時間が限られているという現実や、
限られた時間をコントロールできないという不安を
できるだけ見ないようにしているのだ。

僕たちはスケジュールや計画に強迫的にしがみつき
未来をコントロールできないという事実を忘れようとする。

「自分は限られた時間である」

自分の有限性を直視して初めて、
僕たちは本当の意味で、
人生を生き始めることができるのだ。

一生は短い。
そして確実に死は訪れる。
何も考えられないし、何も感じられない無になる。

時間は限られている、という事実は恐怖でしかない。

だからこそ限られた時間を有意義にしようと

予定を組み、色々なことを体験したいと躍起になる。

でも、追いかけてくる「終わり」から逃げるように日々を生きることは、とにかく疲れる。頑張るって疲れる。

だから、たまに、自分に終わりがあることから目を逸らして、気晴らしに興じる。



んーー、わかる。

人間ならそうなってしまうものだと思う。

ただ、著者が言う、
「自分の有限性を直視する」
ということは、
上に書いた「自分の終わりから逃げる」事ではない。

真っ向から自分の終わり、
自分の死に立ち向かっていくことだ。

そうすることで、

自分の本当の人生を生きることができる。。。


うん、身に染みる。






・選択肢と決断



限界を受け入れるというのは、
つまり「何もかもはできない」と認めることだ。

何かに時間を使うと決めたとき、
僕たちはその他のあらゆる可能性を犠牲にしている。

楽しいことをすべて体験したいという衝動に打ち勝ち
すべてを体験するのは不可能だという現実を受け入れよう。

効率ばかりを求める文化に慣れてしまうと、
手間を省きさえすれば何もかもが実現できるような気がしてくる。
でも、それは嘘だ。
人はいつだって、何かを選び、他の多くのものを捨てて
喪失感に耐えなくてはならない。

ひとつの決断は、
目移りするほど素敵な可能性のメニューから
何かを選べるチャンスなのだ。
そう考えるなら、
「選べなかった選択肢を奪われた」
という被害者意識を持つ必要はまったくない。

人生でやりたいことのトップ25をリストアップし
それをもっとも重要なものから
重要でないものへと順番に並べてみなさい。
そのうち上位の5つに時間を使うといい。
残りの20項目は、捨てなさい。


決断という言葉。
改めて見ると「断」が入っている。

1つを決めて、他を断絶する。


時間の有限性を感じでいた僕は
「より多くの経験をした方が得だ!」
とあれこれ手を出していた。

おかけでギターもピアノもインテリアと化し
1回使っただけの釣竿が幅をとり
無駄にスペックの高いパソコンと
座りもしないのに重厚なデスクがある。

もう中途半端に手を出さないようにしよう
と決意しても、やりたいと思ってしまったら
やってしまう笑

それはそれでいいのかもしれない。
多くを体験できているわけだから。
でも体験の残骸が溜まっていくのを見ると
真っ直ぐ胸を張れない自分がいる。
これは良くない。
そもそも、
「すべてを体験することは不可能」なのだ。

人生で本当にやりたいトップ5に集中した方が
より自分を好きになれる毎日を過ごせそうだと、
本書を通して学んだ。




・時間の速度


無理に急ごうとしないで「時間はかかるだけかかる」と思ったほうが、豊かな成果が生まれることもある。

オリジナルは模倣から生まれる。

現実の速度をコントロールしようという幻想を捨てたとき
現実が本当の意味で自分のものになったのだ。
現実と自分が、ようやく一致したといってもいい。

わからないという不快感に耐えれば
解決策が見えてくる。


すぐに成果がでないと焦る。
これは自分には向いていないんじゃないか。
他に、もっと自分に適しているようなものを見つけた。
のループから抜け出せない僕は
「時間はかかるだけかかる」ことを知らなかった。


大量の時間を投入する、ということに我慢ならなかったのだ。
本当にこれに時間をかけていていいのか?と。


時間を待てなかったんだと思う。
時間を速くしようとしてしまったのだ。
もっと速くもっと速く。
なんなら一気に1年くらい経ってしまってもいい
なんて考えるほどに。


毎日お酒を飲むのもそうだ。
時間を加速させたかった。
やりたいこと、やるべきこと、やらなきゃいけないことが積み重なって
これでは24時間では足りない、と焦る一方、
それを実現しようとキツキツに予定を組み行動することにもホトホト疲れてしまい、
休息が欲しくなり、尚且つ積み重なったものを見ずに休めるように
お酒に逃げていたのだ。


時間は限られている。
速めるなんて、不可能なことなのに
それすらコントロール出来ると勘違いしていたのだ。





・宇宙的無意味療法


本当の話、あなたが人生で何をするかは
そんなに重要なことじゃない。
あなたが限られた時間をどう使おうと
宇宙はまったく、これっぽっちも気にしていないのだ。

並外れたことをやろうという
抽象的で過剰な期待はキッパリと捨てよう。
そんなものにとらわれず、
自分に与えられた時間をそのまま味わった方がいい。

どれだけの人を助けたか、
どれだけの偉業を成し遂げたか、
そんなことは問題ではない。
時間をうまく使ったといえる唯一の基準は
自分に与えられた時間をしっかりと生き、
限られた時間と能力のなかで、
やれることをやったかどうかだ。

宇宙的無意味療法とはそのまんまだが

宇宙からしたらイチローエジソンアインシュタインも大したことしてない

という考え方だ。


それ言ったらもう生きてること意味ないやん笑
とも思うが、悲観的な考えではなくて
そんなに大きな人間にならなくてもいいんだよ
という安息をくれる考え方なのだ。



恥ずかしげも無く言おう。

僕は何かしらで有名になりたい


という欲求だけを持っている。


具体的になにか行動に移しているわけではないけど
まめさんと知り合いなんだよ、と自慢されるような
社会的に評価された人間になりたいと思っている。


が!!


99.999%の確率で無名のまま死ぬだろう。


残酷な事実だ。

でもまだ29歳。

時間はある。
ということは、なにが起きてもおかしくない。

と、その欲求を秘かに胸の内に持ち続けている。


でも、


ところがbutしかし、だ、


別に有名にならなくても幸せっちゃ幸せじゃない?
とも思うのだ。


宇宙からしたら、
どう生きようが
何を成し遂げようが
無かったこと、と同じ程度の意味合いで、
意味合いすらないんだから。



自分の胸の内の欲求に気づくと同時に

なんだか肩の荷が降りた気がした。

これが、大人になるってことか・・・笑








ということで、以上、読書感想文でした。


少しずつ行動を調整していくのではなく、
いっぺんに物の見方が変わるような、
世界の枠組みが変化するような経験を
「二次的変化」という、らしい。


本書を通して僕は二次的変化が起きたと確信している。

この本に出会えて良かった、
と思える本は太宰治人間失格以来かな。


インプットだけでは定着しないので
この記事を定期的に読んで
しっかりアウトプットもしていきたい。



さて、湯船に浸かって

のーんびり時間を味わおうかな!!


へば!!