まめカメラ

まめのカメラブログ

カメラが好きな八王子在住 28歳のブログ

読むの奇怪な物語1 「熱愛」前編

妻の明日菜が2日前に死んだ。
金曜日で仕事が遅くなり、帰り道に最寄り駅付近の大通りで交通事故に逢った。数人が車に引き倒され、彼女は打ちどころが悪かったらしく、病院に運ばれる前にはもう息をしていなかった。
事故に逢った歩行者6名の内、死んだのは明日菜だけで、他の被害者は全治2週間程度の怪我で済んだ。
事故車を運転していたのは80歳はとうに超えた老人で、妻はすでに他界しているらしく、息子夫婦が同行して僕の元へ謝罪へやってきた。
「申し訳ありません。申し訳ありません。」
僕はまだ明日菜が死んだということを全ては受け入れられておらず、謝罪されても、なんだか現実味が湧いてこず、「あぁ、、、はい」とだけ言ってその場を離れた。

明日菜は僕より4才年上だった。僕が29歳の時に会社の同僚として出会い、付き合って1年後に結婚した。
明日菜は母性が強い女性だった。年下の僕は精神的に彼女に甘えていたと思う。わがままを言ったり、ご機嫌ななめの時は八つ当たりをしてしまったし、と思えばおバカなことを言って彼女を困らせた。
「バカじゃないの」と眉を上げて呆れたように笑う彼女が好きだった。
この人でなければ結婚はしていなかったと思えるほど、彼女は僕にとっての恋人であったし、お姉ちゃんであったし、お母さんであったし、1番の親友でもあった。

彼女が死んだ。
未だに受け入れることができない。自分にとって最も身近で最も必要としていた人間がもうこの世界に居ない、そして二度と言葉を交わすことも出来ないということに直面してしまったら、もうこの世界への執着すら無くなる気がしている。あの世があるのなら、それが確約されていて彼女とまた過ごせるのなら迷わず呼吸を止めるのに。


葬儀はトントン拍子で進んでいく。親族との面会が初日、2日目であらかた済み、明日には告別式をし火葬をし納骨となる。
親父さんは大の大人とは思えない嗚咽で明日菜の亡骸に抱きついていた。寡黙な父親だった。たまに明日菜の実家に帰るが親父さんはいつも無口で「いらっしゃい」と「じゃあな」くらいしか聞いた事がなかった。そんな文鎮みたいな人がこぼれ落ちるほどの涙と鼻水を垂らしながらわんわん泣いていた。
やめてくれよと思った。そんなところを見せられたら、親父さんのそんな素顔を見せられたら、ホントに明日菜が死んだみたいじゃないか。


自分の時間だけが早送りみたいに進んでいく。

「何も言えないな」

同期の福島がわざわさ家にまで来てくれて、一切表情を変えず言った。福島は僕と明日菜の共通の友人の1人で、明日菜が僕との結婚を機に転職するまで同じ会社で一緒に仕事をしていた。

「まぁ、、、たしかに何も、何も、な」

生返事になってしまった。たしかに何も言えないのだ。辛いとも泣きたいとも死にそうだとも、何も言えない。


「お前、明日喪主だろ。その後火葬があって納骨をして」

福島は明日は時間を空けてくれて告別式も火葬場にも来てくれることになっている。
動揺をひたすらに押さえ込んでいる僕は、傍から見れば冷静な夫に見えるだろう。明日の段取りも、喪主の挨拶も、参列者の把握も問題ない。

ただ、火葬の場面だけはどうしても想像が出来ない。
明日菜が骨になるのだ。あれほど柔らかい明日菜が、右肘にホクロがあって、背中には学生時代に怪我をした切り傷があって、二重で大きな目をしてて、集中すると眉間のシワがしばらくなおらないあの明日菜が、ただの有機物になるなど、ましてやそれを拾って壺にいれるなんて、考えられるはずもない。


「お前、明日が一番辛いぞ。いや、別にこんなことは言いたくないけどさ、、、でもさ、お前まだ焦点が今に合ってないよ。今を見れてないよ。だからさ、そんなだからさ、明日はそばにいるよ。」

福島は僕の目を真っ直ぐ見て言う。たしかに福島の言う通りだ。目の前の人間が福島なのかどうかすらどうでもいいくらい、僕は目の前の全てがどうでも良く、見えていようが見えていまいがなんら支障はなかった。目に映るものなんて求めていなかった。

「だからさ、お前使えよ。早送り。」


人間はだいぶ昔に「時間の早送り」を使えるようになった。ただし、人生で1回だけ。そして早送りできる時間はきっかり24時間。
「時間の早送り」は右耳がトリガーで、右耳の耳たぶを左手の親指と中指でつまむ。そして左目だけ閉じ、鏡の前で「早送り」と唱える。するときっかり24時間進んでいる。
その24時間の間に起きたことは記憶には残らないから、何が起きていたかもわからない。ただ自分が知らないだけで、世の中は変わらず時間が経っていく。自分だけ24時間後にジャンプできる。


たしかに早送りは「人生一度」だ。
使うならここがいいかもしれない。
妻が焼かれて灰になるところなど見たいわけがない。

「考えておくよ」

内心はすぐにでも早送りを使いたいところだが、自分がいつ早送りを使ったかは他人には言わない、悟らせないことが暗黙のルールになっている。

心配そうな顔をしながら福島は夜の9時頃に帰って行った。

僕は洗面所の鏡の前に立って、
左手で右耳の耳たぶをつまむ。


「明日菜がいなくなるなんて、僕は嫌だ。絶対に、嫌だ。明日菜がいなくなる日、僕もいなくなりたいんだ。嫌なんだ。明日菜のいない人生を前向きに生きるなんて未来は一向に来なくていい。」


左目を閉じる。





「早送り」





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