OLYMPUS OM-D E-M10 MarkII / M.ZUIKO DIGITAL 17mm F1.8
僕は写真を撮るということより、カメラそのものが好きということが1歩前に出ているタイプのカメラ好きだ。だからといってカメラが好きだから写真を撮っているということだけではなく、写真が撮りたくてカメラを使っているわけで。目的でもあり、手段でもある。そんな珍しい存在だ。
カメラの造形は見ているだけで楽しいし、他のカメラを知っていくほどそのカメラのデザイン・機構が特有であり、チャーミングであることに気づく。でもどんなカメラも変わらないことは、露出を調整し、ピントを合わせ、シャッターを切る という3つの動作を行うことだ。
実にシンプル。
その3つの選択を自分の感性のままに決めて写真を撮る。──まぁレンズ選びとかボディ選びとか選択肢は何万とあるんだけどそれは置いといて──
そしてどの選択をしても、写しとめた写真に不正解はない。失敗がない、とも言える。ちょっとアンダー気味であろうが、ピンぼけであろうが、それは「味」として写真に介在することが許される。そんな写真が誰か1人の心を打つことがある。
例えばピアノだったら、多少スピードが前後するのは「味」だとしても叩く鍵盤の位置を間違えてしまえばそれは失敗だ。何十とある鍵盤の隣を叩いてしまうだけで、それは不協和音になってしまう。 ギターでもトランペットでも。音楽はとても繊細な芸術だ。
そう思うと、カメラというのは選択肢が少ないのに、正解が多い。なんと自由で寛容な芸術だろう、と思った。
そしてズボラなわりに変に完璧主義の僕にはやっぱりピッタリな趣味だなと思った。選択肢が多いほど完璧にたどり着く確率は下がる。写真そのものは正解はないかもしれないけど不正解なんてものは確実にない。
街中に向かいカメラを構えシャッターを切る瞬間はなんとも言えない幸せな気持ちになる。良さそうな風景を探しにウロウロし、右手にはカメラを握りしめる。 カメラを持って街中を歩くということ自体、なんだか楽しくて幸福で、顔にも体にも出さないけど心は全力でスキップしているんだ。
カメラをどの角度から考えても、最終的にたどり着く答えは、
あぁ、カメラ好きだわ
である。