なぎら健壱さんはカメラ雑誌でも連載を持っていて、カメラ界隈じゃ有名な写真家さん、ストリートスナッパーだ。 いつだったか、なぎら健壱さんの写真展の詳細にこんな文章が描いてあった。(あまりに良い文章だからクリップボードに保管していた笑)
以下、原文
「眼に映るものがあり、それをカメラで切り取る。それは思いがけなく眼の前に現れた場景であり、二度と現われることはない。もし演出でそれを創り出そうとすれば、そこにあるものは似非の瞬間なのである。
「撮らせてもらっていいですか?」そう言葉をかける。しかしカメラを意識した瞬間に自然体や、それに伴う趣は消滅してしまう。「真」を「写す」のが写真であるとすればだが……。
日頃、写真を撮ろうとカメラを構えて歩いているわけではない。偶然に遭遇した被写体が琴線にふれ、シャッターを切る。よってその一瞬の出合い、そしてその時カメラを持っていられたこと、それに対してシャッターが切れたこと自体がラッキーなのである。三脚を備えて何時間も粘ったり、被写体が現れるのをじっと待っているなど、到底私に出来ようはずもない。
そこにあるのは、ただラッキーな瞬間なのである。日常の中にラッキーがあったともいえる。いや、ラッキーな瞬間が日常だったのかもしれない。それに気づくかどうかである。そうした写真が好きなのである。
街は面白い――だから歩く。 日常は面白い――だから歩く。 そしてシャッターを切る。」
この文章はストリートスナップの魅力をあるがまま、100%表現した文章だと思う。 日常の中にラッキーがある、ならばそもそも、日常はラッキーなものなのだ。それを忘れないようにしてくれるカメラが、やはり好きなのだ。